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ミッションステートメント解説
 1999年の賀川豊彦献身90年に制定した「イエス団憲章」は、法人の基本理念を表すものとして位置づけられています。

 その後、賀川豊彦献身100年を契機に、イエス団の歴史的検証も含め、これからの時代のニーズや課題に即しながら、イエス団の自己理解と使命を再確認するために、「イエス団憲章」に加え、新たに「ミッションステートメント2009」を策定しました。
 私たちはこの宣言に基づき、今後、法人としての使命、すなわち具体的な方針を明らかにし、各地域において私たちが誰と共に、何を目指して、どのように実践していくかという行動計画を立て、具体的に実践しようとしてきました。
 この「ミッションステートメント2009」を策定するにあたり大切に考えたことは、賀川の過ちも含めて、過去の歴史を検証すること、また、イエスに倣った賀川の働きを継承していくこと、そして、私たちもまたイエスに倣って生きることでした。そんな気持ちを抱きつつ、私たちはそれぞれの宣言について、当時の思いとして文章にまとめました。

 それから6年。私たちの思いは変わらないものの、2011年の東日本大震災と放射能汚染、「平和」を脅かす国内外の現状など、社会の状況は著しく変貌を遂げています。そこであらためて、「ミッションステートメント2009」にこめた思いを、現在の脈絡で書き直したいと考えました。
 委員それぞれの思いの中で記したものですので、表現の仕方はバラエティにとんでいますが、そこに込めた共通する思いを受け取っていただければ、と思います。

2015年12月24日

わたしたちは、いのちが大切にされる社会をつくりだす
 私たち一人ひとりは「かけがえのない生命(いのち)」が与えられています。しかし、戦後70年を迎えた今日の社会状況を考えれば、この「かけがえのない生命(いのち)」が粗末に扱われ、軽んじられている時代であるといえるでしょう。日本も含むいわゆる「有志連合」に属する国々が、「テロを殲滅するため」という大義名分のもとに繰り返される空爆によって奪われる「いのち」。その空爆に対抗するための無差別殺人(テロ行為)によって失われる「いのち」。出生前診断によって蔑ろにされる障がいのある子どもたちの「いのち」。虐待やいじめにより奪われる「いのち」。「脳死を人の死」とされ、人間の判断によって終焉を迎えさせられる「いのち」。社会に絶望し、苦悩の末、自らその営みを断たれていく「いのち」。そこで犠牲になる「いのち」の多くは、子どもたちや高齢者、障がいのある方、被抑圧者や被差別者など、いわゆる最も弱い立場に立たされている方々の「いのち」であります。
 イエスは「野の花、空の鳥のたとえ」(ルカによる福音書12章22節〜32節)の中で、生かされている人間一人ひとりの「いのち」のすばらしさを、蒔かず、刈らず、倉に納めずに養われているカラスのいのち、また働きもせず、紡ぎもしないで養われている野の花のいのち、すなわち自然が自然のままで生かされて在ることのすばらしさから学んでいるといえます。
 また、この聖書の箇所が示している大切なことは、イエスがここでカラスや野の花をたとえにだして言及している点であります。鳥のなかでも当時イスラエルにおいては、人間にとって忌むべき鳥、汚らわしい鳥のカラスを引き合いにだし、「きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる」という価値のない、なんでもない野辺の花、雑草を引き合いにだしています。このような通常嫌われ、無視されている存在の小さな「いのち」に、イエスは注目しているのです。すなわち、この世の価値基準からみた時の最も小さいもの、最も弱いものに目を向けていくことが大切なことなのです。

わたしたちは、隣り人と共に生きる社会をつくりだす
 朝、保育園の子どもたちとのお散歩のヒトコマです。「あっ、あそこにも水たまりがある!」「あの葉っぱもぬれてるで」と興味津々で走り出す子どももいれば、水たまりにちょっと足をつけてじっとしている子ども、水たまりを避ける子ども、水ではなくハトやカラスが餌をついばんでいる姿の方に気を寄せる子ども…当たり前のことですが、子どもたちそれぞれにいろいろな感じ方があり、表現もそれぞれでとても豊かです。「こっちの方がおもしろいのに!」と口をとんがらすこともありますが、心の底には、自分と違う感性への共感や思いやりに満ちあふれています。ある意味では、当たり前のように、自分とは違う「隣りの人」を受けとめ、理解しようとしています。そんな心の動きは、自分自身をいとおしく思う気持ちと繋がり、豊かな育みへと続いていきます。
 今、社会では、文化や宗教が違う国や民族、そこに暮らす人々への誤解に基づく敵意や憎しみが蔓延しているように思います。その背景には「人として尊重」されない格差社会の在りよう、「生きづらさ」など、社会全体にわたる病理があります。さらに、偏った「国家観」や「自己責任」など、市民社会が獲得してきた「基本的人権の尊重」という概念すら変質させようとする動きがあるといわざるを得ません。だからこそ、子どもたちがそうであるように、「私」にとっての「隣り人」への思いやりや共感をしっかりと持ち続けていたいと思います。それが、「隣り人」と「共に生き共に育つ」ことのできる社会の実現の第一歩だからです。

わたしたちは、違いを認め合える社会をつくりだす
 私たちは、一人ひとり違っているからこそ互いに関心を持ち、新しい出会いの中で刺激し合い、豊かな経験を積み重ねることができます。そのような世界が豊かな世界なのです。だから、違いは悪いことではなく、互いに補い合って、さらに豊かになるための大切なことがらです。
 私たち人間の歴史は、多くの民族や人種、多種の宗教や文化、多様な性などの違いの中で繰り広げられてきました。しかし、その違いを理由にして悲惨な虐殺や迫害が起こり、多くの大切な命が蔑ろにされた事実がたくさん記憶され、それが今でも続いていることも歴史の一部です。近年では、在日外国人を忌み嫌い、ヘイトスピーチという言葉の暴力やデモによる意思表示によって、在日外国人の存在を否定する個人や団体の動きが憂慮されています。
 このように、「違うこと」によって相手を見下したり、排除したりする心は、そんな社会の仕組みの中で生きる私たち自身の投影でもあります。 そこからは、憎しみや怒り、嫌悪といった否定的な感情しか生まれてきません。マルコによる福音書7章14?21では、「口から出るものこそ人を汚すのである」とイエスが厳しく教えています。
 そのような心を持つ私たちは、果たして平和な社会へと導かれるでしょうか。むしろ、恐怖と不安の充満した社会にならないでしょうか。かつて賀川豊彦も誤った認識により書物を著し、多くの人たちを差別し大きな苦しみを与えたという事実があります。そのことに対して歴史をしっかりと振り返り、反省も含めて、真に違いを認め合える社会をつくり出すために、私たちは、こうした歴史的事実と過ちを真摯に受け止めなければなりません。
「違うこと」は宝物です。互いに違った宝物を補い合う関係は、豊かさを増し加え、さらに新しい世界を生み出す関係です。そう思うと、違いを認め合える社会をつくり出すことは、ますます豊かな関係を生み出し、より良い社会をつくり出すことになります。それは、平和な社会の構築へと導きます。
 違いを受け入れ合うことによって、自らも認められ、励まされて、ますます信頼と愛の関係が広がるでしょう。
 「というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。」(ローマの信徒への手紙12章45節)

わたしたちは、自然が大切にされる社会をつくりだす
 創世記1章26節に次のような神の言葉が記されています。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うすべてを支配せよ。」
 神さまは、わたしたち人間にこの地球のあらゆる生き物を含み自然を大切に管理するように任されてきました。しかし、わたしたちはそのような神さまの期待に応える歩みをしてきたかどうかを問わざるを得ません。むしろ、わたしたち人間は、自らの欲求を満たすために、自分の分もわきまえず、この世界の支配者のような振る舞いをしてきたのではないでしょうか。
 その最たるものが戦争です。戦争によって生きとし生きるもののすべてが破壊されます。その戦争も人間が起こすものです。
 また、福島第一原発での事故から、「原発」は、決して豊かでクリーンなエネルギーを供給するものではないことだけでなく、放射能汚染により取り返しのつかない環境破壊と人々のいのちが奪われていくことが明らかになりました。科学や技術が発達することで、自然をも人間がコントロールできると錯覚してはいないでしょうか?
 今、沖縄県名護市辺野古に新たな米軍基地を建設する計画が進められています。豊かな自然に恵まれた海を埋め立て、そこに棲むいのちを根絶やしにすることは、人間の愚かさを露呈しているとしか言いようがありません。また、自然破壊の最たるものである戦争につながる「基地」というものは、必要はありません。
 本来、自然とは命をはぐくみ、希望や恵みを与えてくれるものです。自然を大切にするということは、命を大切にすることであり、わたしたちのはたらきにつながるものです。

わたしたちは、平和をつくりだす
 イエス団に連なる私たちは「私たちは平和をつくりだす」と明確に宣言しました。では私たちひとり一人は自分の置かれた場でどのような働きの下に平和をつくり出しているのでしょう。平和と一口に言っても単に戦争を行っていない状態を平和というなら今の私たちの状況は平和そのものでしょう。しかし、今私たちの国はかつて無い程平和が脅かされていると言っても過言ではありません。憲法9条の下に「戦争をしない国」という一線を70年間守ってきましたが、今それが「戦争の出来る国」「戦争をする国」へと大きく舵を切ろうとしています。イエス団に連なる私たちは、子どもたち、障がい児者、高齢者、生活困窮者、外国人、マイノリティの方々の平和な生活を守ると共に豊かな恵みあふれる自然環境をも守り育む責任があります。そのような想いを表現した素晴らしい子どもの詩に出合いました。

へいわってすてきだね
へいわって なにかな。ぼくはかんがえたよ。
おともだちと なかよし。かぞくが、げんき。
えがおで あそぶ。 ねこが わらう。
おなかが いっぱい。 やぎが のんびり あるいてる
けんかしても すぐ なかなおり。
ちょうめいそうが たくさん はえ、
うみには、かめやかじきが およいでる。
やさしいこころが にじになる。
へいわっていいね。 へいわってうれしいね。
みんなのこころから、へいわがうまれるんだね。
せんそうは、おそろしい。「ドドーン、ドカーン。」
ばくだんがおちてくる こわいおと。
おなかがすいて、くるしむこども。
かぞくが しんでしまって なくひとたち。
ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。
このへいわが、ずっとつづいてほしい。
みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。
へいわな かぞく、へいわながっこう、
へいわな よなぐにじま、へいわなおきなわ、
へいわなせかい、へいわって すてきだね。
これからも、ずっと へいわが つづくように
ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。
(沖縄県与那国町立久部良小学校一年 安里有生)

 私たちひとり一人が利用者の不利益と成るような状況を決して見逃してはなりません。それは、かつてヒトラー一人で600万人のユダヤ人を虐殺したのではなく、ヨーロッパ、アメリカを含めて5000万人のヒトラーがいたこと(ヒトラーの虐殺を黙視し、黙認、傍観者たちのこと、いわゆる善良なる市民)なのです。それゆえ5000万人の内の一人の傍観者にならないために私に今できることをすることです。あたかも森林火災に対してハチドリがたった一羽で、ひとしずくひとしずく消火への懸命な働きをしたことのように。さあ私たちも私が置かれたその場所で「私は、私に出来ることをしているだけです」と言って平和へのひとしずくの働きのために奮い立ち共に歩みましょう。
 1988年、賀川豊彦生誕100年記念事業のメインテーマであった”平和こそ最大の福祉である”をもう一度想起しましょう。

※参考文献
◎八木あき子『五千万人のヒトラーがいた!』文藝春秋出版
◎辻信一(監修)『ハチドリのひとしずく〜いまわたしにできること〜』光文社出版

【2015年度理念委員会委員】(50音順)
宇野豊、上内鏡子、田村三佳子、西義人、馬場一郎、平田義、祐村明